| 「自己に目覚める」(本来の面目)
どんな人でも、生れてこの方、自分が自分でなかったことは、一度も無いはずです。しかし、自分自身でありながら、思い通りにならない経験は、どなたもお持ちなのでは、ないでしょうか。
「自分 」とは、不思議に満ちた存在です。常にこの存在を「自分」として当然のように使いながら、「呼吸」一つすら、私たちは、それが何なのか、よく分かっていないかもしれません。
たとえば、目に不自由が無い限り、目を開けば当然のように物が見える。しかし、なぜ、人は目が見えるのでしょう?「見える」とは、そもそも、どういうことなのでしょう。
そのことを知るために、頭を悩ませる必要はありません。
この「自分」という存在も、この宇宙同様、気が付いた時には自分に備わっていたものです。自分に備わった、「自分」の機能を十二分に働かせ、なるほど、「自分」とはこういうものか、と知ることです。
ただそのことに真剣に、「自分」が「自分」であることに徹底しきる。
それが「坐禅」であると呼べるでしょう。また、坐禅には、その事に徹底し続けてきた、たくさんの傑僧や、僧侶以外の偉大な人物の伝統が伝えられています。
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